東京支部ゴトウのZAT的徒然思考 #4 『何だかわからないものについて④』

何だかわからないものについて③』の続きです。

◆ 例2 見た事のない治療方法についてのあれこれ
施術者「肩が痛い人ですね。はい、是をこうしてここをこうすれば…どうですか!?」
患者さん「…あれ?痛くない!何で!?今まで何をやっても良くならなかったのに!」
なんて風景は治療技術のセミナーに行くと見る事があるかも知れません。
実際に良くなってしまうのであればそれはそれで素晴らしい事だと思います。

「この治療はすごいぜ、治っちゃうぜ!」「この治療法は自分のものにしたい!」と新たな知的好奇心が刺激されました。そこで、セミナー主催の先生にどうしてよくなるのか質問します、「どうしてよくなるのですか?」と。
施術した先生は、どのように答えてくれるでしょうか。

また、自分の治療院に継続して通われている患者さんが、何回かの通院でケロっと直ってしまった時、「先生、何で良くなったの!?」と言われて「ハンドパワーです」と答えるか、「これこれこう言う事で良くなったの」と答えるか、さあどうしましょう。

教祖様の系列になってもいいなら前者、現代社会できちんとした仕事をしている立場でありたいなら後者、でしょうか(企業秘として答えないのもありですかね)。
この場合、患者さんは良くなったという結果を前にしているので、どちらの答え方であっても信じてしまうかもしれません。治った結果に対して、どのような作用機序を働かせたのか全く知らなければ「ハンドパワーで良くなったんだあ…」となるかもしれませんが、働かせた作用機序を知っている人に「ハンドパワーで治しました」と言っても「ええ~先生、ハンドパワーじゃないでしょ~。また冗談言ってえ」となるでしょう。

ざっくり言ってしまえば、発勁の話も治療技術の話も、その人にとって、ぱっと見「何だか理解できない、わからないもの」って、つまりは手品のタネを知っているか知らないかの差です。
「何だかよくわからないけどすごい!と思われる事にはタネがある」と捉えていただいて良いと思います。


続くぅ!



【東京支部ゴトウのZAT的徒然思考】
#1 『何だかわからないものについて①』
#2 『何だかわからないものについて②』
#3 『何だかわからないものについて③』