堀内ただす【神奈川】


ZATアドバイザー

資格

日本水中スポーツ連盟認定フィンスイミング2スター・インストラクターアディダス・ファンクショナルトレーニング・トレーナーシナプソロジー研究所認定インストラクター(脳活性化プログラム)米国N L P協会認定マスター・プラクティショナー(心理学)

所属

ただすアクアティクスラボ代表
フィンスイミングスクールSPLASH代表・ヘッドコーチ
NPO法人神奈川県水中スポーツ連盟理事・事務局長

経歴

日本フィンスイミング界のパイオニアにしてレジェンド。
日立製作所の研究員として働きながら、
フィンスイミングの競技、指導、普及に尽力。
日本人として初めて世界選手権にて決勝進出を果たす。

2003年、15年間にわたった日本代表を引退し、後進の育成に専念。
20名を超える日本代表選手を輩出する。

55歳で年齢別世界大会に復帰し4種目で2連覇を達成。
3連覇がかかった2018年、ロサンゼルスで病に倒れ、
心臓の弁置換手術と2ヶ月間に及ぶ治療を終え帰国。
身体障害者1級となる。

現在は、ジュニアやマスターズ世代に
フィンスイミングや水泳を指導する一方で、
競技を通して得られた知識と経験を元に、
一般の人たちに「健康と喜びをプレゼント」している。

フィンスイミング戦績

1989~2003年日本代表
日本選手権優勝52回( 前人未踏)
1991年・1993年アジア選手権優勝4回、サーフィス100m2連覇
2000年世界選手権7位(日本人初の決勝進出)
2016年・2017年マスターズワールドカップ、モノフィン全4種目2連覇

競泳戦績

国民体育大会(国体) 6回出場、50mバタフライ2位
日本実業団優勝4回( 自由形、背泳ぎ)

自己紹介

こんにちは!
レジェンドフィンスイマーの「堀内ただす」です。
(「ただす」は本名です^_^)

私は中学時代には県レベルの大会で活躍したスイマーでした。
しかし当時は今のような科学的なトレーニングは行われておらず、
いわゆる「根性練習」の体育会系の雰囲気になじめず、
高校進学とともに水泳は辞めてしまいました。

しかし大学時代に素晴らしい恩師に出会い、
水泳が奥深いスポーツであることを知りました。
そして社会人になって、
日立製作所の研究員として働きながら水泳を再開したのです。

水泳や身体についての知識を深め、
本格的なトレーニングを始めた私は
すぐに中学時代の記録を更新しどんどんとタイムを縮めました。
そして30歳を超えた頃には
国体や実業団の全国大会で活躍できるようになっていました。
遅咲きです^_^

またときを同じくして私は、
日本に入ってきたばかりのフィンスイミングに出会いました。

フィンスイミングを始めてすぐに日本代表となり、
今度は海外のフィンスイマーやコーチから学ぶこととなりました。
そして10年かかって、39歳のときに
日本人として初めて世界大会で決勝進出を果たしたのです。

その後、現役を43歳で引退してからは体重が徐々に増え、
最大で18kgオーバーとなりました。
痩せようと思って走ったところ、
足底筋膜炎を患い、膝を痛めるというまさしく悪循環に陥ったのです。

その後、なんとか体重は落ちましたが、
身体は硬く姿勢は悪くなりまったく動けない身体になってしまいました。

暗中模索する中で私は、ZATに出会いました。
ココロとカラダには密接な関係があり、
そしてヒトとして、動物としての
カラダの在り方を知ったのです。

選手時代の私は
「健康のためにスポーツをしているのではない」
と豪語していましたが、
健康と競技の軸が完全に一致しました。

そして私はフィンスイミングの年齢別の世界大会に復帰し、
個人4種目で2年連続の優勝を果たしたのです。

4種目3連覇を目指した2018年。
私は旅先のロサンゼルスで病に倒れ、心臓の緊急手術を受けました。
辛かった2か月に及ぶロスでの入院を支えたのは、
これまでに学んできたココロとカラダのメソッドでした。

私が長年にわたって学んできたことをみなさんにお伝えしたい。
スポーツに恩返し、スポーツで恩返し。
そんな想いで現在、私は日立製作所を早期退職し、
健康と喜びをたくさんの人にプレゼントしています。

活動エリア

神奈川県、東京都ほか

その他

【著作、TV出演など】
日本水中スポーツ連盟発行フィンスイミング指導員テキストなど。
月刊スイミングライフに「フィンスイミング通信」を5年間連載。
テレビ、ラジオ、雑誌などでの対談、取材、出演多数。
フィンスイミングを指導した著名人は
松岡昌弘(TOKIO)、荻原次晴、坂本一生、徳永有美、原千晶など。

外部リンク